【人生を振り返る】noguriってこんな人。

2本目のブログ更新です!!

スマホでちゃちゃっと更新できたアメブロとは違って、パソコンでカチカチしなきゃ出来ないこのブログは…なかなか大変です。

でも、楽しい気持ちの方が大きいかな。

頭の中では考えが浮かんでいても、それをどうやって表現すればいいかがわからなくてじれったいです。

有言実行というか、思考を実行できる頭の良さが欲しい。

今日は!!!

私の自己紹介をしてみようと思います。

まずは自分を知ってもらってこそ!!!

知ってる人も知らない人も、へえ~って感じで読んで頂ければ嬉しいです。

【名前】noguri

【年齢】1987年生まれ・うさぎ年

【出身】北海道 札幌市

【血液型】B型

【家族構成(結婚前)】両親と姉、兄

【身長・体重】154㎝・46㎏

現在31歳ですが、5月に32歳になります♡

【幼少期】

赤ちゃんらしからぬ、ガラの悪い眉毛と三百眼。
表情もキレキレでいいねえ。

3兄弟の末っ子だったので、かわいいかわいいで育てられました。

そして実際に…かわいかったんですよね。(うわあ)

いや、小さい時なんてみんなかわいいじゃないですか。

2,3歳の頃から人形遊びが大好きな普通の女の子でした。

メメちゃんモモちゃんは、今は4歳の娘の子どもになりました。
メメちゃん落ち武者みたいになってるやん。。。

本名がさおりなので、さぁちゃんと呼ばれ自分でも呼んでいました。

地元では昔と同じように、さぁちゃん。高校や大人になってからはさおちゃん呼びが多いかな。

3歳のエピソード。兄の幼稚園の運動会を家族で観戦中に突然行方不明。家にも居ない。
姉の自転車がなくなってることに気づいて母が死にもの狂いで探し回り、大きい通りで警察と共に大きい自転車を引きながら歩いてる私を無事発見。
母が半泣きで駆け寄り、お巡りさんの第一声。
『ミニーちゃんのお母さんですか!?』

そうです。私おまわりさんにミニーだと名乗ったらしいのです。
母は驚きながらも『え!?あ、は、はいっっ!!』

そうして無事に家族の元へ帰ったのでした。
自転車でどこかに行こうと思ったんだろうね。

面白くてかわいいエピソードだと思ってたけど、今考えたらただの嘘つきな子どもですよね。笑

小学校では兄の影響で小3から野球少年団に入っていました。そこでは男子に紛れてかなりスパルタに育てられました。朝練や夕練も毎日のようにあり、体力的にも精神的にも日々鍛えられた気がします。実際に学校のマラソン大会で1、2年生の時は12位くらいだったのに、野球を始めた3年生からいっきに3位まで上がりました。私は女性の平均より体力があると自負しているのですが、この少年野球で鍛えられた賜物だと思っています。

主にファースト、セカンド、レフトをやっていました。
女子というだけでピッチャーが動揺するのか、デッドボールで出塁することも多かった。

野球に励みながらも普通の女の子なので、好きな男子もいたし休み時間のドッジボールも大好きで、活発な性格だったかな。仲良くなる友達も自然と目立つ子が多くて、女子だけど気が強い感じ。それ故に、2年生の時に一時期そのグループの子達から無視されたり仲間外れされたり…普通に考えたらすごい寂しいはずなのに当時は何故か、ふ~ん。まあいいいか。と楽天的に思って過ごしていました。それどころか妙に心が軽くなったんですよね。

↑遡って人生を振り返ってみると、その時その時で親友と呼べるような仲良い子がいても、私はわりと一人でも平気な性格なんだろうなと思います。常に誰かとべったりする感じではなくて、自分だけの時間が大好きな子どもでした。

小学校高学年では当時大人気だったSPEEDとモーニング娘。にハマって、モーニング娘。はオーディションも受けた事がある程!!今でも辻ちゃん加護ちゃん大好きだし、先日のダブルユーが復活したステージをネットで見て、加護ちゃんが辻ちゃんと歌ってるうううう!!!!!加護ちゃんが泣いてるうううううう!!!と私まで泣けてきちゃいました。

【中学校入学】

中学に入学してからは女子バレー部に入りました。部活動紹介で、かっこよくてかわいい先輩が多かったのが決め手でした。野球をやっていたので肩が強く、体力も瞬発力もあったので1年生から試合に出ることもありました。1年生だけの新人選ではキャプテンも務めました。

中学1年生が一番キラキラしていた気がします。。告白されて初めて彼氏ができたり、でもだからと言って何もなくただすれ違い様に挨拶するだけで満足なくらいシャイな性格でした。

とにかく部活も学校生活も楽しくて、私自身まっすぐ生きていました。

2年生に上がるまでは。。。。

【中2で何かが冷める】

2年生に上がりクラス替えがありました。好きだった人たちはみんなクラスがバラバラになり、唯一一人だけ仲良い友達が居たくらい。担任が女子バレー部の厳しい女の先生になり。。。。。おわったな。。と落胆しました。

そんな中でも真面目に部活に励む日々。初めて後輩ができて先輩と呼ばれたり、先輩がいたからバレー部に決めたと言ってくれた1年生も居て嬉しかったな。私が末っ子なので、生まれて初めて妹のような存在もできて照れくさいような気もしつつ新鮮な気分でした。

札幌のバレー部にはジュニアキャンプというものがあり、今考えてみたらモラハラパワハラのようなものだったんだなと思うのですが。。。。夏休みに各学校のバレー部員(1,2年生)が参加して、協調性や積極性を身に着ける1泊2日の修行のような行事でした。

2年生のキャプテンだった私。1年生は派手なギャルの子が多くやや不安がありながらも引き連れてやってきました。

当時のジュニアキャンプは何とも理不尽なものでした。

挨拶の声が小さい、揃っていない、荷物が整理されていない、集合が遅い、お弁当を残す、少しでも集中していないと見なされるとジュニアキャンプ代表の先生(男)が理不尽にキレだすんです。
もうやってられない!!と、体育館を出ようとする先生を100人くらいの女子部員たちが駆け寄り『先生!!ジュニアキャンプ続けてください!!お願いします!!』と懇願。
それが先生がキレるたびに毎度の茶番。

逆も然り。

もうお前ら帰れ!!!と叫ばれ、泣きながら部員全員で『先生お願いします!!一生懸命頑張りますのでお願いします!!!』と懇願。

私の後輩たちはギャルのような不良のような派手な見た目の子が多かったので(でも部活は一生懸命)最初から何となく先生に目をつけられていた気がします。

案の定、荷物が整理されてないとキレられ、帰れと叫ばれた私たち。
普通だったら泣きながら懇願するのがデフォルトなんですが、部員で話し合った結果。。

『先生は整理できてないと言うけど私たちにとっては整理できてる。』
「直しようがないし、帰れと言われたし、素直に帰ろう。」

体育館の外の通路に追い出された私たちはそのまま帰宅。笑
すがすがしい気分でした。

母にも話すと、よくやった!と。
のほほんとしていたら顧問から電話。
『何をやってるんだ』と。


ジュニアキャンプに引き戻された私たちに待っていたのは公開処刑でした。
100人以上いる他校の部員たちの前に立たされて男の先生からの大罵倒。

ちなみに帰ったことは前代未聞だったらしく本部も大変だったらしい。

何故帰ったかを延々責められ、理不尽な謝罪を要求され、ジュニアキャンプの心の七か条とかいうのを先生の納得がいくまで大声で声が枯れるまで言わされる。

当然キャプテンの私が一番責められ、その時に。

ああ、奴隷をつくりたいんだ、この大人たちは。


そう感じて、先生とか大人や規則や決まりみたいなものに
すごい気持ち悪い失望感みたいなものを感じました。


今はおそらくマシになってると思うのですが、今考えてみたら本当にひどいものだった。

真夏の体育館で成長期の女子部員100人以上に対して男の先生しか居ないのもおかしかったし、
最後に何故か手をすりすり触られて「こんな小さな手でみんなを背負って頑張ったな。。」と言われて本当にゾっとしました。

不信感を抱きながらもバレー自体は楽しかったけど、だんだんバレー部の先輩方が荒れ始め、もう一人の顧問の先生が1年生の担任だったこともあり、あからさまな1年生への贔屓。気の優しい(弱い)2年生の私たちはどんどん自信をなくしていきました。

あと、協調性とか連帯責任とかにうんざりしてきたのもこの頃でした。

そして3年生に上がるころ、私は退部。

いつも応援してくれた母は、今までお疲れさまと抱きしめてくれました。

3年生は中学生のありがちな悪いこともしたし、他校と関わったりヤンキーの彼氏ができたり。部活をやめたせいかいっきに太ったのもこの時期。椎名林檎とcoccoばかり聴いていて、感傷的な時期だったと思います。

勉強は、理数系は致命的で本当にバカでした。高校はただ街中にあるというだけで選んだところへ進学。

【高校でも相変わらず】

高校でも仲良い友達は出来たけどずーっとべったりというのが私はダメみたいでお弁当も一人で全然余裕。でもそれなりに楽しい高校生活でした。

楽しかったけどもう早く自由になりたい気持ちが強くて、早く卒業したい一心でした。高2からコンビニでバイトを始めたり試飲試食販売の短期バイトもして、お金を稼ぐ喜びを知りました。大学進学せずに卒業。

【卒業後1ヵ月で上京】


高校卒業し、バイト雑誌を漁る日々。
手に職をつけたいと思っていた私が選んだのは大手の痩身エステのエステティシャンでした。

研修は東京で1ヵ月。キラキラした華やかな世界を想像しながらいざ東京へ。

会場に集められた沢山の研修生たちの中で私ともう一人の子が最年少でした。
すぐ寮の振り分けがされ、寮に移るもひどい環境でした。

翌日から研修は始まり、仕事内容や仕事への心持ち、技術研修を朝から晩まで受ける日々。
エステの技術の他に脱毛の機械の扱い方も学びました。

初めて親元を離れて過ごしたけど案外平気で何より都会での生活が楽しかったです。でも研修が終われば札幌に配属されるとばかり思っていました。が。。。

1ヵ月の研修が終わり配属先の発表。

’’’金沢八景’’’

まさかの神奈川県!!!まあ、受け入れるしかなく。
両親も、さおりのしたいように頑張れとのこと。

親戚も友達も居ない神奈川での生活が始まりました。

同い年の同僚と同じ寮の部屋だったのもあり、いつの間にか親友のようになり仕事も大変だけどやりがいがあって充実したものでした。

エステと聞けば優雅なイメージがあったけど痩身はバリバリの肉体労働だと思いました。
お客さんの上に乗って、全身のリンパを流す流す。
こっちが汗ダラダラで痩せられそうです。

リンパの流し方を学んだので、今でも自分でマッサージしています♪

月1の研修は仕事の後に都内で行っていました。研修が終わったら終電もないし、タクシーなんて高くて乗れないし、ファミレスで始発を待ったり。。
仕事なんてそんなもんだと今なら思うんですが、またあのトラウマが蘇るのでした。


そう、ジュニアキャンプです。。

あの奴隷のような、何とも言えない気持ち。
自分を使い捨てされてるような気分になってしまったのです。

冷めてしまった私は退職を希望し、1ヵ月後に札幌へ戻りました。





結局1年足らずでエステの仕事は辞め、地元での職探し。

’’OLやってみたいな’’と思いつつも、事務は頭の悪い私には向いてない気がして…
’’OLっぽい制服’’ということで携帯ショップの店員に応募。
店舗は街中を希望してめでたく合格。

携帯ショップの店員もなかなか大変でした。
個人情報を扱うので色々細かいし、新機種を勉強しないといけないし、携帯が壊れてイライラしてるお客さんや明らかに詐欺やってそうな怪しい人が頻繁に電話番号変更しに来たり。
ススキノに近い店舗だったので客層も独特でした。

【人生を変えた出会い】

携帯ショップでも最年少だった私。
上司の先輩方にも恵まれて可愛がられて楽しく働いていました。


店長が「最近韓国ドラマにハマってるんだよね」と韓国の良さをちょくちょく教えてくれるようになりました。私も天国の階段は見たことがあって楽しかったし、母が韓流好きだったのもあって自然と興味を持つようになりました。

おススメの’’宮’’はイマイチハマらず。

’’フルハウス’’というドラマを見て、ピの魅力に衝撃を受けました。


『この世で一番カッコいい人だ。。』とまんまとピの虜に。


ソンヘギョも大好きになり、服装や髪型をマネしたり(ちょっと昔のドラマだから古臭い)
先輩に役名の’’ジウン’’と呼んでもらったり。笑

店員が4人いましたが、4人全員が韓流にハマるという。

店内のBGMはもちろんKPOP。
店のボールペンは韓国芸能人。

仕事後にはみんなで韓国料理屋さんへ行き、ワーホリについて調べたり
休みが合う唯一の年末年始に韓国へ旅行へ行ったり
楽しい韓国オタクライフでした。


携帯ショップの正社員としての仕事もこなし、
職場の雰囲気も良かったしお給料も悪くなかった。

でも、このままこれでいいのかと考えるようになり、
自分の人生を今一度考え直してみた。

高校時代から付き合っていた人がいたけど、半分情なものになっていたし
この人とは未来にはつながらないだろうと確信。
サヨナラを決めました。


誕生日占いでは
’’将来は世界を飛び回っている’’と出て
その将来のためにまずは退職しようと決意。


良い職場だったけど約2年半勤めて、円満に退社しました。


【オッパにひとめぼれ】

やっとここまできました。。。

当時21歳。

無職になった私はハローワークに通いながらも相変わらず韓国にハマっていた日々を過ごしていました。

たまに短期のバイトもしつつ、でも慎重になりながら職探し。

あ、ちなみにピの他にも、イジュンギや東方神起にもハマりライブも行きました。(一人で)

韓国人と出会いたかった私。あと韓国を好きな友達も欲しくて、当時流行っていたmixiを始める。
そんな時、オッパの写真を見て一目ぼれをしたのです。

1985年生・日本で留学中

韓国男子といえば、肌が白くて爽やかで…そんなイメージがあると思いますが
オッパは肌も黒くワイルドでクラブで遊んでそうな見た目でした。

早速私からメッセージ。


当たり障りのないメッセージを送り。。
当たり障りのない返事が!!!笑


後から聞いたのですが、オッパは韓流好きの女性は苦手だったらしく
メッセージがきても返事しない人だったらしい。
でも私が送った時ちょうど日本人の友達といて、
私の写真を見て気になるから返事してみようぜ!!となったらしいです。

当時日本に来て半年くらいでしたが、すでに日本語ペラペラでびっくり。
日本人の友達が多かったから自然に身についたらしい。
毎日のメールや電話のやりとりだけで私は完全に好きになっていました。


オッパは神奈川の川崎に住んでいて、私は札幌。
簡単に会えるわけもなくそのまま時間だけが過ぎていき。。

そこで私にある出来事が起こり、オッパと音信不通になってしまいました。
完全に私が悪くて、いきなり連絡を絶ってしまったのです。


でもたまに思い切って非通知で電話してみたりしたんですが、
いきなり連絡を絶ってしまった罪悪感で何も話せず。

一度裏切ってしまったから、私なんてオッパに関わっちゃいけないんだ。
そう思いながら半年が経過。

2009年。私も22歳になり、ある初夏の日。
東京に一人で遊びに行きました。




そして東京での夜、オッパに電話をしてみました。

半年ぶりのオッパは驚きながらも、さおりが無事でよかった。また連絡くれてよかったと、
優しく受け入れてくれました。

またメールも復活して、次の日空港で会うことに。


翌日、羽田空港国内線ターミナルで初対面。
ドキドキしながらオッパを待つ。

むこうからオッパらしき人が。。

そして笑いながら『おーい!!』と軽く頭をどつかれ(※初対面)

初めて会ったオッパはやっぱりカッコよくて
この人の彼女になりたい。と思いました。

空港内のカフェで話してても、いきなり音信不通になった私を一つも責めることな
く見た目はチャラいのに優しいオッパでした。

でも、私と連絡できなくなった時に高熱が出てつらかったと。
さおりのせいで…と言っていました。



飛行機の時間になり、そろそろサヨナラ。
もういきなり連絡絶ったりしない、また来月遊びに行くと約束して最後の挨拶。

握手しようと手を差し出すと『両手で握手しないと』と言われて
両手を差し出すと。。。
そのまま抱きしめられ!!!初チュー!!!爆

呆然とする私でしたが、じゃあまた会おうね!連絡するね!と普通なオッパ。



そんな感じの初対面でした。


【遠距離恋愛スタート】

初対面から1ヵ月後の7月、オッパに会いに東京へ。
オッパは川崎から新宿3丁目に引っ越してました。

1ヵ月ぶりのオッパと再会。
最初は緊張したけど、それもまた良し。


一目惚れから始まったけど、いつの間にか
色んな世界を見せてくれるオッパを本当に好きになっていました。


彼女になって、東京と札幌の遠恋が始まりました。

月1で私が東京へ。
大喧嘩した時は、オッパが札幌にいきなり来てくれたりもしました。

別れる時は毎回号泣。
当時はカカオもラインもなかったから、電話代もそのままかかる!!泣
そう考えたら今の時代はテレビ電話も無料だもんね。

月1ペースで会いながら、だんだん遠距離に耐えられなくなってきていました。

数か月間、短期のバイトで生活してたけど
もう東京へ引っ越して、東京で働きたいな。と思っていました。


2009年の11月。

オッパのお母さんが友達と大阪に旅行に来るとのことで、
それに合わせて私たちも大阪へ。


お母さんと初対面。
緊張しながらも拙い韓国語でお土産を渡し挨拶と会話。


仏教徒のお母さんは、みんなで大阪のお寺へ行くとのことで
私たちもお寺で泊まることに。

初対面からスッピン晒して一緒に寝るとか…汗
でもこれは良い機会だと思い、全力で猫かぶって過ごしました。

奈良にも行ったり楽しく和やかに過ごし、
空港へお見送り。

ほとんど言葉がわからなかったけど、気に入ってもらえたみたいで(´▽`) ホッ。

その後はオッパと食い倒れました。


東京に戻り、家でゆっくりしていたら
『一緒に暮らそう』とオッパが。


一緒に暮らす為の準備をする為に札幌へ戻り、
12月のクリスマス前に東京へ引っ越し。

ほぼ駆け落ちみたいなものでした。
実家の家族にも心配をかけ、自分勝手に好きなように思いのままに生きていました。

それでも、絶対オッパと一緒に居たかった。
もしこの選択が間違ってて傷ついてもいいと思えるくらい好きでした。



年が明け2010年。
新宿の携帯ショップで働き始めました。

頑張って働いた後にはオッパに会える。
そんな毎日が幸せでした。






【来てくれてありがとう】

2010年5月。
妊娠判明。

2人で本当に喜びました。
働き始めたばかりで無責任だと思いつつ、報告。

携帯ショップは退職し、つわりが落ち着いてからは
近所の喫茶店でパートを始めました。

どんどん大きくなる自分の体が不思議だったなあ。
おなかの赤ちゃんは’’ベビヤ’’と呼んでいました。

ちなみにアメブロで’’おなかに赤ちゃんがいます”というタイトルでやっていました。



【長男の誕生】

2011年1月。長男が誕生しました。

できちゃった婚でしたが、私はこの人じゃなきゃ嫌だと思っていたので
ただただ幸せ一色な毎日でした。



と!!!
これが私が生まれてから結婚するまでの23年間のヒストリーでした。

長かった。。無駄に。笑

でも同棲してからの部分はかなりはしょりました。



こんなに事細かに自分のことを振り返ったのは初めてかもしれない。
赤裸々に書いたので恥ずかしい気持ちもあるけど、
人はいつ何があるかわからないから、
こうやって自分の人となりを残しておくのは悪いことじゃないと思うんです。

こうやってブログに赤裸々に書けるのは
きっと私がもう韓国に住んでるからであって、日本に住んでいないというのもありますが。


振り返ってみても、本当に自分勝手な人生だなと感じました。
特に家族には沢山心配や苦労をかけてしまった。


でもどんな時も母は味方でいてくれました。


私が大人になってから母から聞いた話です。

『さぁちゃんは、小さい頃から誰が好き?と聞くと、さぁちゃんは一番さぁちゃんが好き!と自分で言っていたんだよ。小学校でも中学校でも、大事なものを聞かれてまわりが家族やペットとか言ってる中で、さぁちゃんは自分が一番大事だと言っていたんだよ。それがママはすごい嬉しかったよ。自分を好きで大事にできるさぁちゃんだから、自分を傷つけるようなことはしない。そしてさぁちゃんは優しいから誰かを傷つけることもしない。絶対に自分が幸せになる道を選べるはずだから、ママは安心して好きなように生きてほしいと思えたんだよ。』

聞いたときに、今までどんな選択も進路も否定せず
相談なしの事後報告でも
受け入れて味方をしてくれてた母の気持ちがわかりました。


だから胸を張って言います。

自分が好きです。大好きな両親が産んでくれた自分を好きでいたいし
子どもたちにも自分を好きでいてもらいたいと思います。



イヤー長かった。
とりあえず私のことをバアーっと書いてみました。

何となく伝わったでしょうか?
私ってこんな人です♡



読んでくださりありがとうございました❢

2 Replies to “【人生を振り返る】noguriってこんな人。”

  1. さおさん♡アメブロのビール好きladyです^_^笑笑
    めっちゃ素敵なブログ!
    旦那様との出会いから妊娠まで、私までトキメキました♡
    旦那様とさおさんの日常とかも知りたいです(≧∇≦)笑笑
    また遊びに来ます~♡

    追伸、諸事情によりお酒は辞めました笑笑 これからは良い妻になれるよう頑張ります(^^)笑笑

    1. ladyさん!!コメントありがとうございます♡
      今までこんな具体的に恋愛中の話を書いたことがなかったのですが、おもいきって晒してみました(/ω\)
      日常、、平凡ですが書いてみたら楽しいかもしれませんね(^▽^)/
      また遊びにきてくださいね~☆

      お酒やめられたんですね!!!!
      何か理由があったのですか?実は私ももう2か月ほど飲まなくなって、たまにグラス1杯を付き合いで飲むくらいです。
      身体が変わってしまったみたいで悲しくもありますが、今までが異常だったのでこれを機に健康的な生活を誓います!!
      お互い健康第一で妻業がんばりましょうね☆

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